アクセントから違う江戸弁で
弟月 桂 右團治さんは2000年に落語芸術協会初の女性真打ちになられたそうですが、江戸落語といえば“八っつぁん、熊さん”の世界を江戸弁で話されるわけですね。江戸弁というのは今の東京の言葉とは違うものなんですか?
右團治 江戸弁は、今や滅びつつある言葉なんです。もともとの「~すべえ」といった関東方言に、徳川家康と一緒に三河の方から入ってきた方言が入り交じってできた言葉と言われます。今の東京の言葉は江戸時代の参勤交代に見られるように、さまざまな地方から来た人や方言の影響を受けて変化してきたのでずいぶん違いますね。江戸弁はもう実際に使われる方はもちろん、聞いたことがあるという方も少なくなっているんです。
弟月 江戸弁にはどんな特徴があるんでしょう?
右團治 まず、頭にアクセントがあります。東海道を今は「トウカイドウ」と「カ」にアクセントをおいて言いますが、江戸っ子は「トウカイドウ」と「ト」におくんです。映画(エイガ)も江戸弁は「エイガ」、電車(デンシャ)は「デンシャ」となります。そして、語尾がスッと消えるのも特徴です。これを“呑む”と言っていますが。たとえば「~です」というとき、語尾の「す」の音をきちんと発音するといわゆる関西なまりになりますが、標準語では「す」の母音Uを消します。江戸弁ではさらに消えるんです。
弟月 その頭にアクセントをおいて語尾を“呑む”江戸弁には勢いと強さがありますが、それは江戸っ子たちの自負心からきているのではないでしょうか?まわりには徳川家をはじめ諸国からの武士や商人たちが大勢いる中で、もともと江戸に住んでいた自分たちこそ江戸の町の暮らしを支えている、という意識。それが江戸弁を守り、周囲とは違う独特の言葉として伝わってきたのではと思うんですが。
右團治 そうですね。当時の江戸は人口100万人を超える世界一発展した都市でした。面積でいえば7割がお侍、1割5分が寺社、残りの1割5分の土地に庶民がひしめいて暮らしていたそうです。そんな中で、江戸職人の気概のようなものが育まれていったのかもしれませんね。同じ江戸落語に登場する人物でも商人と職人では言葉が違いますが、職人の威勢のいい言葉には、アクセントや言葉の強さ、自然に生まれるイントネーション(抑揚)といった英語に通じるものがありますね。
夏目漱石、正岡子規も落語ファン
弟月 江戸といえば、明治の文豪・夏目漱石も小さい頃、よく寄席に連れて行ってもらったとかで、江戸っ子としての強い自負と独特のユーモアのセンスがありますね。
右團治 漱石は、どうも権力が嫌いなご家系だったようですね。上からものを言われるのが嫌いで、「田舎侍めが」と思ったのでしょうか、ご褒美をくれると政府から使いが来たときも追い返したそうですよ。2007年は漱石の生誕140周年にあたり、その記念事業の「漱石講演会」で、私も生前漱石が聞いたであろう噺を演じる機会がありました。漱石は本当に落語がお好きだったようで、終生友情を結んだ俳人の正岡子規とは東大の同級生でしたが、出会いは寄席だったそうですね。「おや、あそこにいるのは正岡君では」「あ、夏目君か」という感じで知り合いになったそうです(笑)。
弟月 漱石の手紙には落語のような「落ち」があるし、子規が確立した俳句にも「落ち」がありますね。
右團治 そうなんです。実は江戸落語は、お座敷で、今でいう句会のような集まりを開いて、その余興にお酒を酌み交わしながら「私、こんな噺を作ってみたんですが…」と披露しあったのが発祥と言われているので、俳句や川柳に「落ち」があるのと根っこは同じかもしれませんね。